護岸とコンクリート遊歩道をめぐる思惑
3月13日、清流橋から。
高麗川まるごと再生プロジェクトの清流橋~高岡橋の工事は着々と進んでいます。
この突貫工事は、27年度事業であることと、遊歩道を作る理由をいろいろ挙げていた市産業振興課が最後に触れていた、高麗郡建郡1300年祭で来る観光客に歩いてもらう、ということもあるかもしれない。
<清流橋下流の写真にある護岸工事>
この護岸工事には、こんな事情、思惑があったようです。超簡単に模式図的に書けばこういうことになるのではないかと思います。
【県土整備事務所】……日高市区域の高麗川についての見解
⇒ 理論的にも経験的にも洪水の心配はない ⇒ 日高市高麗川に治水の問題はない
【県の基本】……………用地買収は行わない ⇒ 必然的に河川敷への工事
【地元(の一部?)】…川に接する民地(竹やぶ)の自然護岸の崩れ
⇒ 護岸工事が必用だ。⇒ 個人財産浸食と治水の問題
【県と市】………………目的はコンクリート遊歩道を作ること
⇒ 護岸の上に作る。 ⇒ まちづくりの一環の位置付け
(観光でも治水でもない)
↓
問題の方向は異なるが護岸の必要性で共通
【地元(の一部?)】…遊歩道を認めれば護岸を作るいいチャンス
景観的には一部を残せばいいだろう
【県と市】………………コンクリート遊歩道を作るために護岸が必須
◎かくて、流域の治水・水辺インフラ問題、まちづくりに関わる市民全体の問題、環境等の問題を正面から検討することなく、地元利益の誘導と行政のコンクリート遊歩道建設促進の思惑が重なって工事容認に至った。高麗川まるごと再生プロジェクトの工事の決定には同じような例が各所で見られ、こういう行政のやり方でいいのか、また、それを追認してしまう民意の表現でいいのか、日高市の根本的課題が見える。行政の手法がそうならざるを得ないのは、トップダウン事業を進める政治リーダーの方針によるところが大きい。また、それを監視できない政治的環境というべきか。(横山秀男記)