高麗川清流

高麗川コンクリート遊歩道に反対し計画再考を求める会

進化する河川思想に逆行する高麗川まるごと再生プロジェクト――政治家の責任と倫理及び行政の役割を思うと新たな怒りが湧き起こる

 3月14日の清流橋から見た工事現場です。橋の袂にある工事の概要看板によると、目的は「護岸・遊歩道工事」とあり、その主な内容は、かごマットと石積みによる「法覆護岸工」(“のりふくごがんこう”と読みます)です。工事金額が表示されていません。
 清流橋~お蔵淵は、看板にあるように2工区なので、1工区と合算の金額がどこかに示されているのかもしれませんが、工区毎の予算が分かった方がいいです。
 護岸の段数が増えてきました。何段までいくのか。

  • 段を設けることは、この場所の護岸は本来は一段で作ってしまうはずだが、壁のラインが余りに直角に近いので視覚上の緩和を行うため――→環境に配慮
  • かごマットと石積みだから自然にやさしい――→現在の河川工法で最大限に自然に配慮

 と行政や工事関係者等が言うことがあるが、高麗川まるごと再生プロジェクトについては、そもそも目的そのものが誤っているのだから、この言い方で話しを完結させるとしたらおかしいのです。

f:id:komagawaseiryu:20160425022341j:plain

6段まで石組みが積み上がった。
f:id:komagawaseiryu:20160425023115j:plain

急傾斜の護岸の上に2メートル幅の手すり付きコンクリート遊歩道ができる。
f:id:komagawaseiryu:20160425022453j:plain

 河川が人間全体のもの、生き物全体のためのものである、という考え方が、20年ほど前から徐々に取り入れられて広まってきました。高度成長期を経ての、河川を破壊するだけの土木工事への国民からの批判が高まり、人間と自然環境を重視する確固とした方向が、今や国の考え方・技術両面から、政策として、具体的方針として定着しつつあります。
 河川関係の文献を調べてみると、人間と環境重視の思想が、技術に素人でもよく理解できるほどの言葉と表現で書かれています。現実の計画や工事は、未だにこの方向に沿わず旧態の例もありますが、私たち市民は、国のこの方向をしっかりと受け止め、更に進めなければなりません。

◆進化する河川思想

 私たちが各方面から、高麗川まるごと再生プロジェクトのコンクリート遊歩道に反対の立場でアプローチする理由は、会の提言や具体的提案で述べてきました(ブログメニュー参照)。工事の進行を見ると、改めて、いや今まで以上に、政治家の無知や倫理に乏しい政策・言動とそれを進める行政の姿勢が、地方自治や民主主義を逆流させ、河川を人間と自然のものとする流れに沿っていないことを痛感、怒りが新たに沸き起こってきます。
 日高市が立案し埼玉県が予算を付けた高麗川まるごと再生プロジェクトは、世界の河川思想の流れにいかに逆行するか、次に挙げる動向から分かります。

  • 1990(平成2)年 建設省河川局治水課「多自然型川づくり」方針
  • 1997(平成9)年 河川法改正で防災と同時に環境との調和が基本に
  • 2006(平成18)年 国土交通省河川局「多自然川づくり基本方針」。90年方針から“型”が取られて、地域の自然と歴史及び伝統を重視する国の河川方針確立

 この流れは、国土交通省の護岸について書かれた技術解説にしっかりと定着していることが分かります。
http://www.mlit.go.jp/river/shishin_guideline/bousai/saigai/measures-saigai/pdf/04.pdf#search='%E8%AD%B7%E5%B2%B8%E5%B7%A5'
 この文書は、護岸工で検索すると最初に該当の章が出て来るが、正式文書名は不明です。ただPDF文書のURLに「美しき山河校了2014」という編集制作上のタイトルが出てきます。これを頼りに検索すると「美しい山河を守る災害復旧基本方針」という河川局発行の文書があるので、これではないかと思われます。
 技術や工法について、自然に反する、拮抗することは“控える”という表現が何と多いことか、そして河川の本来的自然と動植物の生態に基づく具体策。
 石組みを行う際の、石の色が回りの自然に溶け込むためのカラーチャートまで示されている!

◆問題はここから

 問題はここからです。
 これらの人間と環境重視の河川思想が、文書のタイトルから明らかなように、災害対策、治水を前提としたものです。これは国民の生活の安全と維持を目的とする河川改修として当然のことです。
 高麗川まるごと再生プロジェクトの問題性は、災害対策や治水を考慮しない河川改悪であることで、現在の世界、日本の河川に対する思想・考え方が、事業計画の外側にはじきだされてしまっていることです。
 もちろん、多段の護岸、石組み、かごマット等の個々の技術には、その成果は国の指針として適用されるのだろうが、ここで冒頭に書いたことを再度書くと「目的そのものが誤っている」のです。従って、技術の問題よりも先に、政策の意思決定と執行のプロセスこそが重要になります。
 高麗川まるごと再生プロジェクトにも適用された埼玉県の事業目的はこうあります。
――――<埼玉県がHPで示す目的>―――――――――――――――――――――
◎水辺再生100プランのスポット的な水辺再生から、
  一つの川を上流から下流までまるごと再生へステップアップする
○市町村のまちづくりと連携して面的な広がりを持たせる
○川や地域の特性に応じた再生テーマを定めて取り組む
○県民が取組成果を実感することで共助による川の再生を推進する
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 何度でも言いますが、目的そのものが間違っている。人間と自然環境を重視する河川思想の進化が、災害対策や治水分野でこれだけ起こっているのに、それが反映しないどころか逆行することを行っていることです。

  • 自然河川の上流域に、つまり、まちづくりをする必用のないところに人を誘導して“にぎわい”をつくり出そうとする時代錯誤
  • 川や地域の特性に反したコンクリート遊歩道という再生テーマ、
  • “共助”どころか、取組方針と成果も実感させない情報・説明不足

 知事の公約実現のための時限付き事業で、時間のかかる用地買収を行わない――必然的に河川敷への建設となり破壊につながった。また県に提出の日高市案にはコンクリート遊歩道案はなかった。それがいつの間にか正式ルートをはずれた形で事業化が決まった。遊歩道当初案の3億円とも言われる事業がどこで決まったのか、 杳(よう)として分からない。
 政治家の責任と倫理、及び法律の運用ノウハウと裁量で事業化を進める行政について、「公」の精神はどこにあるのかを問いたい。
 パズルのピースを合わせるような論の組み立てと文章を書くのにいささか疲れました。筆者は川の専門家ではありませんが、流れの方向の読みは誤っていないと信じて書きました。今回の文章を書くに当たって、金沢学院大学大学院教授 玉井信行著「水辺整備のあり方について」(「リバーフロント」2010、Vol.67)を参考にしました。