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高麗川清流

高麗川コンクリート遊歩道に反対し計画再考を求める会

由らしむべし,知らしむべからず?―― 2つの事業進行から見えること

 日高市高麗川まるごと再生プロジェクトは、市民に悟られないよう情報統制を徹底して行ってきた悪しき行政の見本、と言えると思います。前回の記事で、その遠因と思われる日和田山の事例を取り上げましたが、今回は、役所の体質として、市民目線と離れた根っこについてです。
「由らしむべし,知らしむべからず」という言葉があります。

日高市は「誤った解釈」か

 この言葉についてネットで検索すると、まず冒頭にgoo辞書が出ます。
 同辞書には、「《「論語」泰伯から》人民を為政者の施政に従わせることはできるが、その道理を理解させることはむずかしい。転じて、為政者は人民を施政に従わせればよいのであり、その道理を人民にわからせる必要はない」とあります。(下線は筆者)
 検索2番目の故事ことわざ辞典は「民は之に由らしむべし之を知らしむべからずとは、為政者が定めた法律によって人民を従わせることはできるが、その法律の道理を理解させるのは難しいということ。」注釈として、「人民は法律に従わせておけばよいもので、その意義や道理を理解させる必要はない、との解釈で使われることも多いが、本来の意 味ではない」とあります。(下線は筆者)
 役所で、先輩からこの言葉を教えてもらった、という記事もありました。総務省の高官が国民と行政の関係を規定する行政手続法や情報公開法を解説する文章の中で、誤った解釈で使用している例もありました。
 故事ことわざ辞典に拠るとすれば、goo辞書は、間違った解釈のままです。goo辞書の出典はデジタル大辞泉で、「小学館提供の本格的な大型国語辞典『デジタル大辞泉』を搭載。デジタルデータの特性を生かし、年3回の定期更新を行っている」とあります。
 大辞泉の監修・編集はそうそうたる複数の学者ですが、“本格的大辞典”にしてこの誤った解釈です。とすれば、この解釈が、全国の「公」に蔓延していると想像しても良いかもしれません。
 日高市行政も、高麗川まるごと再生プロジェクトの対応から見ると、「誤った解釈」が組織の根柢に潜んでいるのではないかとの疑いを抱かざるを得ません。
 以前、市役所で「そういう資料を出しても、どうせ分からないんだから出さなくてもいい」という某主幹の発言を偶然耳にしたことがあります。「由らしむべし,知らしむべからず」の誤った解釈が日常化している可能性があります。時代の趨勢もあって改善している部分もありますが、協働も情報提供の姿勢及び説明責任も、明らかに後退しているようです。
 現市長は市役所職員の出身、副市長も同様となると、組織全体として同質の中に安住していないか心配になります。議会も同様、同質に安住し、執行部局の監視の役割を果たしていません。

安岡正篤氏の言葉

 政治家も経営者も信奉するあの有名な安岡正篤氏の言葉として「由らしむべし,知らしむべからず」の解説がありました。誤った解釈に対してこう述べています。
「たとえ論語を読まずとも、少しく落ち着いてものを考えたならば、これをそんなに解釈できるわけはないと思う。その生涯を人道のために捧げて、特に民を思うの余り、非難も迫害も顧みず、政教の改革に熱烈な努力をした孔子ともあろう人が、どうしてそんな民を愚にするような説を吐こうか」。さすが信奉される思想家の言です。
 さらに、この言葉は、孔子が時の為政者に向かって政治の心得を説いたものであるとしています。つまり、「論語学者の註釈を待つまでもなく、これは孔子が時の為政者に向かって政治の心得を説いたもので、民衆をして政府の為す所に信頼せしめよ、之に一々わからせることは出来ないものだ」とのこと。氏の解釈を引用したネット発言は沢山見られます。
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◆市長の見識と組織のあり方

 それにしても、とつくづく思うことがあります。
 横手台団地の小学校用地のグラウンド工事が進み、日高市の帰属となります。8年前、ここにビジネスとしての温浴施設をつくる密かな計画が浮上し(注:この場合も密かな計画だった)温泉源のボーリングまで行われました。日高市はこの企図に加担していました。公共用地として認知されていた土地に温浴施設とは何事ぞ、と反対運動が起こり、以来7年間かかってようやく返還が実現、真の公共用地、日高市財産となりました。
 住民の土地・住宅購入時の約束事や議会の決議という証拠があっても7年間という長い時間を要しました。様々な抵抗や妨害を乗り切り(当初の脅しや脅迫には弁護士の助言で対応)最後には自治会の総意となっての公共用地化の達成です。事実と住民意志を背景にした言葉と論理で、埼玉県や日高市及び西武鉄道等と渡り合い、粘り強く交渉してきた住民組織があったからです。
 そして目的は達成され、昨年12月、住民組織「横手台・永田台・武蔵台の住環境を良くする会」は解散しました。
 丁度、時を同じくして、県と市の共同事業「水辺再生100プラン 横手・巾着田地区事業」「高麗川まるごと再生プロジェクト」が進行していたのです。
 同じ組織の中で、一方で、日高市が加担した誤った事業を中止させ引き戻すべく、ボランティア住民組織が発進させ、膨大な時間と努力が注がれる話し合いが進行、他方で、高麗川の自然と歴史及び伝統を破壊・改変するムダな土木公共事業が市民に知らせず密かに進められていました。
 両方とも、一部の人間の企図に日高市行政が加担、あるいは立案で、市民に知らせない計画・事業です。
 小学校用地の返還・公共用地化で住民と話し合う経験が活かされず、行政の市民目線の確立に役立っていない、と思わざるを得ません。
 行政としての行動の振り返りと住民との話し合いに基づく良好な関係性の追求ということ――2つ事業の過程を見ると、このまちづくりの基本が日高市に根付くのだろうかとの思いが起こります。
市長としての政治家としてのリーダーの見識と、「由らしむべし,知らしむべからず」の誤った解釈に染まらない組織を期待したい。


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